医薬品開発のブレインパートナー
メッセージ
医薬品等の商品化に関係する、事業開発、新製品開発戦略などのご相談に応じております。
  • 開発・承認取得戦略の策定
    がん領域、抗ウイルス薬など感染症、狭心症など循環器疾患、糖尿病など内分泌代謝疾患、潰瘍性大腸炎など消化器疾患、体外診断薬、医療機器など
  • 薬事関連のご相談
    日本と欧米アジア諸国との規制の違い、国内承認申請資料の構成、欧米承認申請資料の国内承認申請への応用、がん領域における日本独自の規制、オーファン指定の方法など
  • PMDA治験相談戦略の策定
    第I相開始前相談、承認申請前相談、事前相談、簡易相談など
  • 開発戦略の策定
    PDP(Product Development Plan)、CDP( Clinical Development Plan)、TPP(Target Product Profile)などの策定、製品評価、市場評価など
  • 多国籍臨床開発戦略の策定
  • 医薬品などの開発組織構築のご相談
津村からのメッセージ
「米国FDAがOK(承認)と言っているのに、何故日本ではダメなんだぁ〜???」

日本での新薬開発を希望して相談に来られたお客様のコンサルテーションをすると、この様な悲痛の叫びが度々聞かれます。これには時として私共も共感せざるをえません。

治験実施の重要な指針であるヘルシンキ宣言を見ますと、「治験はどの様に説明しようとも人体実験であり、・・・個々の研究被験者の福祉が他のすべての利益よりも優先されなければならない。」と言った主旨が述べられています。そしてこれが治験などの臨床研究における『倫理』なのです。
倫理的に問題となる臨床試験や治験としてはどの様なものが考えられるでしょうか。
  • 有効性や安全性が確立していない最新の治療法を使用すること、
  • 副作用に極めて注意する必要のある薬剤を投与すること、
  • 有効な既存の治療薬があるにも係わらずプラセボを対照とした試験を実施すること、
などなど、いずれも参加する被験者さんの倫理に十分配慮した対応が望まれる試験と考えられます。
しかし、最も倫理的に問題となる臨床試験や治験は、
必要性のない臨床試験や治験を実施すること
なのです。ただ単に、法律で決まっているから、ガイドラインでそう規定されているから、当局が要請するから、症例数が足りないからといった理由だけで、被験者さんを必要のないリスクに晒すことが最も倫理的に問題は行為です。
実際の臨床開発の現場では、この種の臨床試験がかなり行われています。例えば、海外では既に1000例以上の患者さんに投与され、安全性・有効性が検討されている薬剤であるにも係わらず、日本で再び健常ボランティアを対象とした第I相試験から開始する…とか、海外では既に発売されていて数十万人の患者さんの治療に供されている薬剤であるにも係わらず、日本で再び臨床試験をフルで実施する…などはその最たるものです。これらは、逆の意味で「科学的」ではない行為ではないのでしょうか(プンプン)。
治験相談などでこの様に主張すると、必ずと言っていいほど「日本人の反応は不明ですよね、日本人の感受性は特別ですから…」というコメントが返ってきます。このとき、「日本人は特別」と判断する根拠として挙げられるのが、「同一薬剤でも海外で承認された投与量の範囲は、日本で承認されたものを上回っており、かつ広いものが多数ある」ということです。確かに日本で承認された投与量の範囲は、最少と最大で2倍〜多くても4倍程度ですが、海外では4倍〜10倍となっているものが目立ちます。
しかし、このコメントに騙されてはいけません。私の考えでは、これは人種の違いに起因するものではなく(多少はあるでしょうが)、医療制度の違いに大きく依存している現象と言えるのです。
日本は世界に類を見ない「国民皆保険」制度を敷いている唯一の国家です。しかしこれは裏を返すと、日本国民の税金で個人の健康を維持する制度なのです。政府には国民の血税を効率よく適正に使用する義務があります。従いまして、同じ疾患、同じ重症度の患者さんが個人によって受ける医療が異なる=使用する税金の額が異なる 場合には政府は国民に対してその理由を説明する必要があります。従いまして畢竟、政府は規格にはまった(安く上がる方向での)画一的医療を求め、個人の医療を国が決める形になるのです。そして、安く上げるために承認する薬剤の投与量の範囲も最小限に留める傾向が強くなります。更に、患者さんの方は医療費の3割ないしは1割負担で全額を支払う訳ではないので、多少の価格の高低には頓着しません。従いまして、医療側は許される最高額の医療を提供する傾向が強くなります。この様な理由から、日本での承認要鋼は極めて厳しい狭いものになっているのです。
一方、海外はと言えば「個人の健康は個人で守る」のが常識です。従いまして、個人の医療費も原則個人が負担することになります。医者は患者さんに治療法のオプションを示しますが、強制はしません。経済的問題がありますので、選択はあくまで患者さん個人に任せられているのです。ですので、規制当局がどれだけ広い用量範囲で承認しようとも、患者さんは自分の懐具合と相談しながら治療法を選択しますので、わざわざ当局が規制しなくても医療側が暴走する様な事にはなりません。日本とは大きく違いますよね。さらに欧米では多種多様な人種と多種多様なサイズの患者さんが居ますので、ある程度の選択範囲を設けませんと医療が対応できなくなります。ということで、海外(特に欧米)では薬剤の用法・用量の範囲が比較的広く承認されるのです。
この様な医療システムの違いを抜きにして「人種差」「日本人は特別」などとするのもやはり倫理的・科学的ではないと思いませんか? と、ひとり気を吐いている津村君でした。